2023年10月15日 (日)

つぶやき:浅慮の悪魔

先日、「つぶやき:考える力がもたらす判断力」を書きました。実は、1年間に起こった重要な出来事の全てにおいて判断誤りをした人に遭遇したことがきっかけでした。おそらく、一般的な大学卒の平均的な知能を有してさえいえれば、このような判断はしないと思われることから、考える力の不足がもたらす判断力について書いたのでした。その後、様々に調査した結果、これが「浅慮」というものであり、そして、この「浅慮」は、それ自体が病なのでは無く、ある種の病がもたらす産物であることも分かりました。

浅慮の悪魔との遭遇

浅慮(せんりょ)とは、思慮の浅いこと。浅はかな考え、と広辞苑の第六版には記載があります。

実はこれまで、浅慮な人々と直接的に関わり、その結果、苦労したという記憶がほとんどありませんでした。それは、深く関わらずに済んだからなのかもしれませんし、浅慮な人が、私のいる特殊な学問中心の環境に対応できなかったからかもしれません。そのため、私自身、浅慮がもたらす影響がこれほどに大きいという事に正直衝撃を受けました。そして、浅慮に対する軽視が、社会問題にもなり得る事を理解しましたのでつぶやくに至りました。

浅慮の悪魔がもたらす社会のひずみ

浅慮を検索すると、「集団浅慮」や昨今のSNSにおける誹謗中傷行為がエスカレートする人の思考の傾向が記されたサイトがヒットします。このことから、「浅慮」が社会にひずみをもたらす要因のひとつになっていること、また、そのことに気づき、警鐘を鳴らしている人々がいることが認識できます。

私の実体験からいうと、浅慮な人との関係性がどのようなものであっても、ともに協力して何かの仕事を成し遂げるのは大変な苦労を強いられるということです。単に、考える力が不足しているために問題解決能力が低い、というだけであれば、例えば先輩がサポートをするといった事で解決できそうに思えますよね。しかし、実際には、先輩を含め周囲のアドバイスや指示を排除したり、倫理観や道徳心に欠ける行動を安易にしたり、相手の気持ちを考え配慮することができなかったり、そして、それらの事を注意しても改善されることはないため、繰り返し同じような不快で不可解な行動をとり続けるから大変なのです。

子供の浅慮は、根気強い教育によって改善も可能でしょう。しかし、大人の浅慮は自分自身で気づく事が極めて困難であり、浅慮であることに対し、本人は自分の長所であると考えても、決して短所であると考える事はしませんので、関わる人にとっては悪魔でしかないのです。

考える力の不足と、都合の良い解釈

浅慮な人の特徴は、検索してみるといろいろと出てきます。浅慮というよりは、思慮が浅く軽薄な人といったキーワードで検索した方が的確にヒットするかもしれません。

彼らの特徴は、要するに「考える力不足」から起こるパーソナリティーだといえます。したがって、自己愛性パーソナリティ障害に似た特徴が複数あります。調査したところ、浅慮だから自己愛性などを含むパーソナリティ障害を引き起こすのではなく、そもそもパーソナリティ障害がある人の特徴の一つに浅慮があるようです。パーソナリティ障害でなくても、様々な要因で浅慮になってしまうことがあり、その結果、社会性に欠ける行動をとってしまうようです。

具体的な例を示しましょう。

一つの特徴として、道徳や倫理を無視するというのがあるようです。

例えば、ルールや規則に対し、「警察に逮捕されなければ破っても良い」や「ばれなければ良い」といった考えを持ち、安易に破ることがあります。

また、共感の欠如がみられ、自己中心的な発言を繰り返します。

例えば、ルールを破った際に、「ルールを破ると関係者が困るのですよ」と説明しても、他者が困るということに対して共感ができません。そのため何度説明しても、同じ過ちを繰り返します。更に、過ちを認めたり、謝罪することはありません。自分は正しい、何が悪いのだと思っているようです。

適切な人に相談することはなく、アドバイスは完全無視

その上、適切な人には相談はしませんし、周囲のアドバイスには耳もかしません。例えば、上司と部下の関係にあり、部下が浅慮な場合、この部下は、上司に相談をしたり報告をしたりを常に怠ります。その上、無断で社内の情報を部外者へ口外し、その部外者からの助言に従った行動をします。そんな状況を心配して上司がこの部下に親身になってアドバイスをしても、完全に無視をします。困ったことに、それは良くないよ、どうしてそんなことをするの?という問いかけには全く応じません。自分が悪いことをしたなどという見解には至らないからでしょう。それは、上司が何度も繰り返し、注意したり改善をするように指示してもです。

では、どうしてそうなるのか?

幻想とも思える楽観主義者で、自分の考えは無く、人の言葉を曲解して自分を肯定したり、周囲のアドバイスはシャットアウトしたりするという特性があるからです。

極端な楽観主義に惑わされる

彼らが極端な楽観主義者であることは、一見良いようにも思えますが、実は、深刻な問題やトラブルを招きます。

例えば、深刻な事態が発生しても、気にも留めず陽気に振る舞います。また、何も考えずに安請け合いしたり、いつも笑顔で返事だけは良かったりしますので、爽やか系で人当たりが良い人と勘違いされる事が多いです。しかし、実際は全てがその場しのぎですから、自分の言動に責任を持つことも、その言動をとった結果、将来的に何が起こるのかも、全く気にしません。また、トラブルや問題が起こっても、自分の言動が原因だとは思いもしませんし、自分の言動すら憶えていないこともあります。

失敗やトラブルに対し、原因の究明はしない

楽観主義だからなのか、記憶がないからなのか、その場しのぎの言動しかしないからなのか、失敗やトラブルが発生した時に、原因を考える事は一切しません。ですから、どうしてそのような事がおきたのですか?と質問しても返答できません。そして、原因を言わないと先に進まない状況に追い込まれると、懲りもせずその場しのぎの発言をはじめます。

ここまできてようやっと、ああ、考える力がないのか、と気付きます。それでも、考える力がないことが、自分に都合の良い解釈しかしない、とか、周囲のアドバイスをシャットアウトする、ルールや規則を安易に破ることに何故つながるのか、正直最初はわかりませんでした。

この件を深く考察して思う事は、浅慮とはそれほどに恐ろしいことである、ということです。

どう対処するか

残念ながら、関わらないことが一番の得策でしょう。しかし、そうはできない場合にどうするか。おそらく、関わる側が大きな損失を被ることを避けるための対処をとりながら対応するしかないでしょう。また、浅慮であることがこの人物の人生であると考え、この人物にとって良い助言をしようとか、改善をもとめたりといったことは、考えないことです。また、トラブルや失敗が発生することを前提に、損失が広がることを避ける、つまり浅慮な人個人だけがうける損失だけに留まるようにコントロールしておくことが肝心だと思います。

浅慮に基づく言動がパーソナリティ障害と思えるほど深刻化してしまった人に対して、どれだけ手を差し伸べても、残念ながら改善は望めないのだな、と深く実感しているからこその意見です。

入試重視、創造性に欠ける画一化学校教育の弊害

今日ご紹介した「浅慮」も、大学入試に合格する事だけが目的の、暗記に重点を置いた、そして、考える事をさせない、画一的で創造性にかける学校教育の弊害の一つです。現に、入試問題を「考える問題」にすべく試行錯誤が進んでいます。そうすることで、高校までの学校教育でも考えさせる教育が進むことを期待しての事です。しかし、長い間の暗記教育が、浅慮であっても、大学入試をクリアーし、大学教育におけるテストもある程度クリアーできる状況あることは残念ながら事実です。

今後、言語生成AIをはじめとする、生成AIが益々進化していくでしょう。

その中にあって、人間が人間らしい能力を発揮していけるのは、考える力だけなのではないでしょうか?