2024年1月 2日 (火)

Happy New Year! 2024

皆様、新年のお慶びを申し上げます。

新年早々、日本では災害や大きな事故が起こっておりますが、被災地の皆様および事故に遭遇された方々にお見舞い申し上げます。一日も早い復興を祈ると共に、私にできる協力をこれからも続けていきたいと思います。

新年最初に感じた事をまず書きます。能登半島地震の地震発生時の影像を見ていて思ったのですが、動画撮影を始める人が多いこと、そして、大きな揺れに見舞われる中、大型テレビや家具が倒れないようにおさえようと行動する人の多いこと。これらがとても気になりました。

私自身は2000年3月に発生した芸予地震で被災しています。当時働いていた愛媛大学の卒業祝賀会会場で最も大きい震度(震度5強)を経験したのですが、テーブルの上のビールを押さえたり、机を押さえたりする人を多く目にしました。急いで、研究室へ向かったところ、まだ建物の外に逃げず、散乱した物品や什器を片付けようとする学生が残っていました。研究室付近にいた教員によると、彼らは、揺れている最中、本棚が倒れないように支えようと行動したとか。もしかするとこれらの行動は、日本人の良きモラルに裏付けられた行動なのかもしれません。しかし、一番大切なのは命であることを真っ先に思い浮かべてください。本棚が倒れて本や資料が散乱しようが、装置が壊れようが、乱暴な言い方で恐縮ですが、後でなんとでもできます。まずは、自分の身を守ってください。そして、残念ながら地震がもたらすエネルギーには人間はかないません。私の研究室の大変重い本棚(力自慢の大人数人がかりでも微動だにしない)が、芸予地震でも数十センチ動いたのです。そんなものを人間の力で押さえ込むことはできません。そして、動画は、自分の身の安全を確保した後に撮影をしてください。

どうしてもこのことを書き方かった松永でした。逃げることのできない状況でお亡くなりになった方々がいらっしゃること、とても残念な気持ちで一杯です。電気電子工学技術で、少しでも減災できるようにこれからも知力を振り絞って参ります。

大学院博士後期課程を修了以来、日本のみならず世界各地で大学教員生活を送り続けている松永ですが、毎年の正月は生まれ育った地元に戻っております。今年も、有り難い事に、地元で懐かしい風景を眺めながら、美味しい食を堪能し、そして、懐かしい面々と楽しく会話をすることができました。慣れ親しんだこの風景、多くの観光客に紛れて初めて撮影してみました。夜の風情の方が皆様にはおなじみかもしれません。

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私の様な生粋の博多っ子は、中洲を「なかず」と呼びますが、全国的には「なかす」と呼ばれるこの街。地形的として「洲」となっている地区の呼び名ですので、「す」と呼ぶのにも意味があると思います。この話をするときに必ず引用するのが、青江三奈さんが歌ってヒットした昭和歌謡「中洲・那珂川・涙街」。この歌のさびに「男が中洲(泣かす)という街で、女は中洲(泣かず)と意地を張る、逢えない人の噂ばなしを訪ね歩いた涙街、忘れんしゃい、忘れんしゃい、中洲 那珂川 風が吹く」というフレーズ。「なかず」とも「なかす」とも呼ばれることをよく表した歌詞だと思います。今日は、風は吹いておりませんでしたが、松永もこの歌の意味がようやっと分かる様になったことを、那珂川を渡り中洲へと歩みを進めながら思いをはせておりました。

最後はしんみりした話になってしまいましたが、今年も新しいことにチャレンジし続ける松永をよろしくお願い申し上げます。