2023年9月18日 (月)

今日は、「変化をポジティブに受け入れ、前向きに生きよう!」というつぶやきをしたいと思います。

学生さんには、最後の段落「変化を嫌うならば、何故、大学へ進学するのか?工学を学ぶのか?学んだ者になろうとするのか?」だけでも読んで欲しいです。

観測史上最高の平均気温を記録した夏

それにしても、今年(2023年)の夏は暑いですね~(基本日本国内在住者への向けた言葉ですが、今年2度出張したアメリカも暑いですね~)。もう9月半ばというのに浜松では「熱中症警報」が出る暑さが続いています。メモリーすべく書き留めておくと、「気象庁によると、2023年7月の日本全国の平均気温は平年と比べて1.91度高く、気象庁が1898年に統計を取り始めて以来この125年間で最も暑い7月となったそうです。」

平均気温上昇の背景にも、変化があります。そして、その変化は、否応なしに受け入れるしかなく、受け入れるために人は努力をしますよね?例えば、最近、作業をする方々が着用している様子を頻繁に目にする「ファンジャケット」。ファンが付いているジャケットなのですが、炎天下にもかかわらず、長袖で通気性のないジャンパーを着たまま作業をされている、ということは、着ている方が涼しいからなのでしょうね~。人間、変化に適用するために飽くなき工夫をし続ける生き物だなぁ~とつくづく思いました。


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※ご購入の際は、安全性と機能効果を十分に確認してね!

病気をポジティブに受け入れる

同じように、時として否応が無しに受け入れるしか無い変化として、「病気」というものがあります。しかし、人は病気になると、「どうして自分が?」と思ってしまいますよね?

その背景には、病気になった人に対する他人の目があるからなのかもしれません。病気の程度にもよりますが、深刻度が増せば増すほど、他人から「あきらめられる(世の中から排除される)」懸念があるからでしょうね。

現に、深刻な病に冒された人に対し、「終わった人」として切り捨てる人は多いでしょう。ですから、終わった人と思われるのが嫌で、病に冒されていることは明らかにせず仕事を続ける人が多い。こんな時に、多くの人が助け合いの精神を発揮できると、「病気」という変化もポジティブに受け入れやすくなると思うのですがね~

病は誰も避けられない四苦である

ブッダは病について、「生老病死病」は人に定められた四苦と説いています。つまり、誰もが罹患するものであり、自分だけが経験するものではそもそも無いのです。年齢や程度の違いはあれ、やがてどこかのタイミングで病にはかかるでしょうし、重いものから経験する人もいれば、軽いものから経験する人もいるでしょう。寿命で平均すると同程度になるのでは無いかと私は思います(統計は探していません)。

そう考えると、例えば、薬の副作用や大きな手術に耐えうる元気なうちに、大きな病に罹患することは、ラッキーなのかもしれません。また、一度、重い病気に罹患した人は、きっと自分自身の身体を誰よりも大切にするでしょうから、若いうちに深刻な病に苦しむ事も悪い事ではないかもしれませんね。

楽な道とは?

先日学生達に、楽な道と苦難の道、どちらを選びますか?と質問をしました。

ほとんどの学生が楽な道を選ぶと答えます。それも、申し訳なさそうに、笑。人生が苦難を避けて楽に歩めるほど簡単なものでは無いことは、頭では分かっているのでしょうね。だからこそ、申し訳なさそうに「いやぁーできればー、楽な道を歩みたいです。。。」と答える。

そもそも楽な道とは何なんでしょうね?それが何かが分かった上での見解であれば良いのですが、本当に楽かどうかも分からず、楽だと思い込んで進んでしまうと、楽ではないと分かったときに、逃げることしかできなくなってしまうのではないのでしょうか。

楽かどうかをどう判断しますか?例えは、「現状維持かor前進か」、「何もしないかor何かをするか」、だったり、「多くの人が歩む道かorそうでないか」で判断する人は多いと思います。これらはつまり、「変化を受け入れるかor受け入れないか」ではないでしょうか?要するに、「変化」にはなにがしかの苦難がつきまい楽では無いから、今のままが良い、何もしたくない、とか、王道を進むといった判断が楽につながると信じ込んでいるだけのことなのです。だから、本質的に楽かどうかを判断しているわけでは決して無いことを受け止める必要があります。

変化って、そんなに嫌ですか?

身体の成長だって変化です。進学だって変化です。社会人になるとは、極めて大きな変化でしょう。多くの学生が、成長したいと願い、大学へ進学し、社会人になろうとします。それが当たり前であるかのように。これらの変化はすんなり受け入れられるのに、その先に続く、これらの本当の変化は受け入れるのが何故嫌なのでしょうか?

私は思うのです、大学進学という大きな変化が、社会通念に惑わされて、変化に見えないだけだからではないかと。良く言われる例として、結婚はゴールでは無い、大きな変化つまり苦難のスタートだというものもありますね。同様に、大学合格はゴールではない、その先に続く本当の大きな変化に対応して初めて卒業できるのです。つまり、結婚にしろ大学進学にしろ、多くの人が社会通念という罠にかかり、本質を見失っていると言えます。

「社会通念にしてしまう、という人々を懐柔する策略」については、いつか書きますね。

諸行無常、変化の本質を見極めポジティブに受け入れる

病気だって変化です。「楽では無いから受け入れたくない!」それはそうでしょう。しかし、誰でもいつかは病気になるのです。病気になったとき、楽では無いから受け入れたくない!と思えば、そこで止まってしまうのではないでしょうか?

変化をどう受け入れるのか、それが重要なのです。もちろん、自分の力だけではどうにも出来ないことだってあるでしょう。また、変化の先が期待通りでない場合もあるでしょう。しかし、その変化すらも自分の人生の一部として受け入れ、自分なりに納得のいくものにしていく事が何よりも大切なのではないか、私はそう思います。

だって、諸行無常、変化しないものなんて何一つないのだから。変化は受け入れざるを得ません。そして、どうせ受け入れるのであれば、自分なりにポジティブに受け入れたいと思います。

今日も長くなってしまいました。ここまで読んでくださった方々、ありがとうございます。

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以下は、大学進学という変化についての補足説明です。もう少し読みたい方は是非!

変化を嫌うならば、何故、大学へ進学するのか?工学を学ぶのか?学んだ者になろうとするのか?

どうして「苦楽、どちらの道を選ぶか?」といった質問を学生にするかというと、そもそも、大学の工学部とは、新しい技術開発を担う人材を育成をするところであり、新しい技術とは、誰も見たことも経験した事もない技術であり、その技術を開発するには誰も歩んだことのない道を歩むしかない、という事を理解してもらうためです。

こんな話をすると、学生さんの数人が、大学に進学する理由はどんな理由であっても良いはずだ。技術開発ができる人材になることが目的ではなく、皆が大学へ進学するから、とか、有名大学を卒業すれば有名な会社に就職できる、とか、工学部は就職率が良いからといった理由であっても良いはずだと、反論します。もちろん、そういう理由であってももちろん進学して良いですよ。

私が言いたいのは、これらの理由を否定することではありません。大学進学自体が大きな変化であり、大学の工学部を卒業をしたい=工学という学問を学び修得すること、卒業した人=修得した人と社会が見なす、ということを理解し、大学へ進学した=その大きな変化を受け入れたということだと認識して欲しいということです。

大学進学という変化を、前述した「皆が大学へ進学するから、とか、有名大学を卒業すれば有名な会社に就職できる、とか、工学部は就職率が良いからといった理由」で受け入れしまうと、その先に続く、経験した事もない未知の変化には対応することができないのではないでしょうか?

本来ならば、皆が大学進学する理由<--大学進学者の方が有能だと思われる(?)<--本質的に有能とは大学で経験する未知の変化に対応できた<--未知の変化とは工学部では新しい技術開発をするノウハウや経験なのではないでしょうか?ですから、大学へ進学しただけでは、その先に続くと信じて疑わない「有名な会社への就職率が高く、生涯年収が上がり、楽な生活が送れる」といった道は妄想にすぎません。そして、大学で本来経験する未知の変化にも対応したくないし、新しい技術開発のノウハウや経験もする必要も自分にはない、という主張して、大学工学部を卒業することはできないという事を理解して欲しいです。