2024年4月 9日 (火)

前回から少し間が空いてしまいました。「どうしたのかな?」と思ったかたも多いと思います。最近数ヶ月は何度も「いつもブログを読んでいます」という声かけも頂戴しました。

  • ホームページがあるかどうか
  • ホームページの見栄えがよいか
  • 内容が充実しているか
  • 最新の情報に更新しているか

によって、企業イメージが決まることが常識になり、大学の研究室も同様という見方が多くなったこともありますので、できるだけコンスタントに書いていきたいと思います。特に、新学部4年生(B4)の卒研室選びの時期ですかり、研究内容も充実していきます。

今日のお話は、学生さんの指導の際に使ったたとえ話「研究は100kgのバーベルを挙げる努力と同じこと」です。指導をしていて、ふと頭に浮かんだたとえ話だったのですが、理解が得られたので、ご紹介します。

大学院修士課程の新1年生は、修士課程2年間の目標と計画を立て大学に提出する必要があります。すると、「先輩が書いた計画書を若干変更するだけ」や、「すぐに終わる誰でもできそうな内容(既に取り組み結果が出ている内容など)」を提出する学生が多くいます。その理由の多くは、「自分にできるか不安(大変な努力が必要になったらどうしよう。できなかったらどうしよう。)」があるからのようです。書き直しを指示すると、どうすれば良いかわからないから書けない。計画が立たないから勉強もできない、と言い出します。

そこで、突然頭に浮かんだたとえ話が「100kgのバーベルを挙げるためには」でした。

「100kgのバーベルを挙げることが、修士号を取得するための条件だと仮定しましょう」。実際、知識も経験もほとんどない新1年生には、修士論文を書くための研究成果を得る事は、100kgのバーベルを挙げるくらい困難なことです。

100kgのバーベルを挙げる技術で社会へ出る=修士号を取得して就職する、と自分で決めた(進学を希望し入学試験を受験する)にもかかわらず、いざ、100kgのバーベルを挙げるためのトレーニング計画書を書きなさいと指示すると、「自分には100kgも挙げられるか不安。だから、目標を1kgに変更します」と言い出す。何か矛盾しませんか?1kgは、バーベルを触ったこともない私でも挙げられると思います。つまり、ジム(大学院)で専属トレーナー(大学教授)に指導を受けながらトレーニング(勉強)する必要はありません。1kgへ目標を変えるということは、修士号取得をあきらめるということに等しくなります。そう説明すると、今度は、「いろいろ調べましたが研究計画書を書くためのアイディが浮かびません。だから勉強が進みません。」と言い出す。これは、「100kgのバーベルを挙げるためのアイディアが浮かびません。だからトレーニングができません」と言っているのと同じでは?と説明しました。

そうですよね、目標が100kgであれ、50kgであれ、まずは基礎筋肉トレーニングが必要です。トレーニングを重ね、徐々に重量を挙げていくうちに、筋力も付き、要領もわかるようになり、そして初めて、100kgの壁に挑む準備と、そのための努力の仕方が見えてくるのです。自分には100kgが挙げられるか不安、とか、不安だからトレーニングもできない、という人の結果は決まっています。「100kgのバーベルをあげる=修士号を取得する」と一度決めた(進学を自ら希望した)のです。だったら、つべこべ言わず、地道なトレーニング(勉強)にまず取り組む事が何よりも大切です。そしてようやっと、何をすれば100kg挙げられるのかが少しずつ見えてくるのです。

ちなみに、後日調べたところ、100kgのバーベルが挙がるまでには1~2年のトレーニングが必要だそうです。多くの人が80kgまでは挙がっても、そこから100kgへ挙げるのには、更なる努力が必要になり難しいのだそうです。我ながら良い例だったなぁと感心した次第です。(日本の修士課程は2年間なので)

最後に、昨今は、「修士号を取得するのは100kgのバーベルを挙げるに等しい」なんて、そんな怖いことを言うな。学生がおびえて恐縮するだろう。余計に不安をあおる言動だ。などと主張する保護者や教員が多くなりました。そういう主張をする方々に、だったら人生の厳しさをどう教えるのですか?と問うと、「100kgのバーベルをあなた(先生)が代わりに挙げれば良い」とか、「怖くないよ、怖くなったら、(先生がつきっきりで)守ってあげるから」と言うべきだとおっしゃいます。何か違いませんか?野生動物が生まれた瞬間に歩き出すのは何故ですか?独り立ちの時期になると、放置したり野に放つのは何故ですか?

数十年後に、自分では何もできない大人ばかりになったとき、何が起こるのでしょうかね?その時に、そんな未来の大人を作った今の大人達はどう反論するのでしょうかね。私はもう何度も聞いています。「その頃には自分たちは生きていないから関係無い」と彼らは言います。それこそ無責任で恐ろしい行為です。

約80年前まで、日本国憲法が施行される前の大日本帝国憲法の時代、婚姻した女性は法的無能力者として意思決定権を有しませんでした。このことに疑問を呈し、婚姻をせず、自分の力で生きていく選択をしようとする女性に対し、人々は、「そんな怖い選択絶対にやめろ。苦難しかない。婚姻によって男性に守られる人生こそ幸せであり、そうすべきだ」と諭したと言います。私には、「100kgのバーベルなんて怖い話」と言い立てる人々の認識は、80年前のこの認識と全く同じに思えます。