2023年11月17日 (金)

個人の意思の尊重とその限界について

このブログでは、個人の意思を尊重し、多様性を肯定する社会の必要性について一貫して取り組んでいます。それぞれの個人が持つ異なる考え方を認め、その多様性を大切にすることは、共生社会の基盤です。しかし、個人の意思には受け入れがたい側面も存在します。

私の大学教員としての経験からの一例を挙げると、一部の学生は「勉強したくない」という強い意思を持っています。私自身、これは個人の自由な選択と考え、尊重する立場です。しかし、問題は学生が「課題をやりたくないけど、卒業はさせてほしい」と要求する場合です。このような要求は、個人の意思を尊重する範囲を超え、他者に対する強制になりかねません。

大学には卒業要件があり、これらは学生個人の意思で変更することはできません。卒業要件を満たさない限り、卒業は認められないのです。学生が自ら「勉強しない」と決めた場合、その結果に対して責任を持つことが重要です。また、教員に対して不当な圧力をかけることは、パワーハラスメントにあたります。

同様に、保護者からの期待による圧力も問題です。例えば、勉強を望まない学生に対し、その意思を尊重し、将来について再考するよう促す教員に対して、保護者が「勉強するように指導せよ」と圧力をかけるケースがあります。このような保護者の行為は、教員だけでなく、学生自身の意思に対する不当な介入となり得ます。

最後に、幼少期の子供を育てる際のアプローチについての質問に答えたいと思います。自分で考え、行動する子供を育てるためには、子供の話を聞き、その選択を尊重することが大切です。時には面倒かもしれませんが、子供の成長をサポートするために、そのプロセスに積極的に関わることをお勧めします。