2023年12月11日 (月)

つぶやき:手を抜いたら、手がかかる

ある日、建設作業現場前を通った時、写真の様な標語が掲げられているのを目にした。おもわす、「そうだよな~」と写真を撮影した。撮影した写真をよく見ると、解説文が添えられていることに気付き、その詳細についてネット検索をした。詳細は末尾の参考に記載しているブログを読んで欲しい。

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実は、私は手を抜かない人だ。それも全てにおいて手を抜かないので、手を抜きたい人たちからは「あんたみたいな人がいるとプレッシャーだ」と怒られる事がある。手を抜く罪悪感を、手をぬかない人にぶつけるのはお門違いである。それだけに、「隙あれば手を抜こう」とする学生達を見ると残念な気持ちになる。

まさにそうなのだ。「手を抜いたら、手がかかる」のだ。常に手を抜かない生活をしているからこそ言えるのは、どんなに手を抜かない日々を送っていても、手がかかることは起こる。それだけに、手を抜いたらどんなことになるのだろう、と思う。手を抜けば、手を抜いた結果しか得られないことも痛いほど理解している。だから言えるのは、「手を抜く」という選択は、「手を抜いた結果しか得られない」とあきらめていることになることをしっかりと自分自身で受け止めるべきであるということである。

人はついつい「面倒くさい」ことを嫌がる。面倒だから手も抜きたくなる。そして、手を抜かずに仕事をしようとする人を「面倒くさい人」と呼び嫌悪感を向ける。まるで手を抜かずに仕事をしようとしている人が悪いかのように。これは前述した、私に「あんたをみてるとプレッシャーがかかる云々」と言いがかりを付けてくる人と同じだ。要は、手を抜きたいが、手を抜くことには罪悪感を持つ。だったら、他の人のせいにして「手を抜いていることに対する自分への罪悪感も、自分へ向けられるであろう嫌悪感も、他人へそらしてしまえ!」としているのだ。一度の手抜きが、罪を重ねる状況を作り上げる例であると言える。

以前、判断力や創造力の重要性を記したブログの最後に、判断力や創造力を子供達が培うために親たちにしたアドバイスを書いた。「面倒だと思いますが、子供達の好奇心に付き合ってあげてください」と。そうなのです、教育も研究も、面倒なことばかりで、手がかかる事ばかりです。だからこそ、手を抜けないのです。手を抜いて育てた子どもは、きっと、手がかかる子供になるのではないですか?また、手がかからないことを自慢していませんか?(手がかかっていないように作為的になされているだけです。)

目の前の一瞬の面倒くささを回避するための手抜きが、後々、どうにも解決がつかないほど手がかかる事を招いていませんか?

「手を抜いたら、手がかかる」そう心にとめて人生をおくりたいものです。

※参考

(株)森長工務店、社長ブログ「手を抜いたら手がかかる」

https://www.morinaga-net.co.jp/blog/president/post-1937