2023年8月20日 (日)

つぶやき:大学教育のインフレ

久しぶりにTED Talks(※)を視聴していたときの事です。

※TED TalksについてはTEDの公式ホームページをご覧ください。

最も視聴されたTalksを表示すると、Sir Ken Robinsonの「Do schools kill creativity?」だというので早速聴いてみました。

最近の学校教育に違和感を感じている人は多いのですね

このTalksが最も視聴されたということは、最近の学校教育に違和感を感じている人が多いということなのでしょうか?どういった興味でこのTalkを視聴したのかについての調査や検討は見当たらないので、そう結論づけるのは尚早でしょう。しかし、興味をもって視聴した人がこれだけ多いという事実は認める必要があります。

タイトルは「学校教育は創造性を殺してしまっている?」と訳されているようです。私としては、本Talkのポイントは、以下に整理されると思いました。

  • 学校教育が画一化教育に重きを置いた結果、創造性教育がなおざりとなってしまっている
  • 識字教育と創造性教育は分け、どちらも実施する必要性がある
  • そして、大学教育のインフレが進んでしまった今、知性の意味を抜本的に考え直す必要がある

先日も、私自身の大学教育現場における教育者としての経験から、考える力を培う教育が日本の教育現場ではなおざりにされ、その結果、自分の人生を自分の考えに基づき判断しながら歩むことができない学生が増えている事をつぶやきました。主にアメリカの教育について語っているSir Ken Robinsonも、私と同様に、これまでの教育がもたらした弊害に警鐘を鳴らし、教育改革の必要性を具体的に語っています。

画一化(標準化)教育と識字教育が学校教育の基本としたことの弊害

少し脱線しますが、2023年に放映されている「らんまん」という朝ドラについて説明してくれた知人の話を聞いたときのことです。(ちなみに私は視聴していません。)

武士の家系に生まれた男子だけが私塾に通えた時代、商家の生まれでありながら私塾への通学を許された主人公が、様々な事に興味をもって勉学に没頭することから話が始まったそうです。時が経ち、尋常小学校制度が施行され、私塾が閉鎖されたとき、尋常小学校では識字教育が主であったことから、国語(日本語)はおろか、英語も習得していた主人公には、「いろは」からの教育には興味が持てず、1日で中退。その後、学校教育を受けたことはないが、世界的に著名な植物学者となったという話の様です。知人から聞いた話ですので、もしかすると少し違っているかもしれません。

この話を聞いたとき、私は思わず、「私塾つまり、私立大学の設立理念はそこにあったはずなのに、現在においてはその役割を担っている私大は皆無のように思える」と発言しました。

この朝ドラを作っている人々が、世間に何を伝えたいと思いを込めているかは知りません。しかし、私が思ったように、以下の点に思いを込めて視聴すれば、Sir Ken Robinsonが伝えたかった事と同じ事であったように私には思えます。

尋常小学校の設立理念は識字教育であったのです。私が小中学生の頃には、日本の識字率は世界一であるといった事を誇る発言が良くきかれました。確かに、公立小学校の教育により、日本の識字率は、ほぼ100%なのでしょう。確かに、生きていくために読み書きは必要です。しかし、読み書きはできるが、それをどう活用するかについては教育現場で教えてこなかったともいえます。

ちょっと余談です。私の出身高校には、全日制だけでなく定時制もありました。その両制度の生徒が同じ教室を昼と夜にシェアするシステムでした。ですから、全日制(昼)の生徒であった私たちは、帰宅時に机の引き出しを空にし、教室を掃除して定時制(夜)の生徒達にバトンタッチするのです。中には、机の落書きで文通をする生徒もいましたね。とはいえ、定時制の生徒と関わる事はほとんどありません。文化祭(学園祭)が開催された時でした。普段は節点のない定時制の生徒が、全日制の文化祭に遊びに来ていたのです。確か、数学研究会の恒例の出し物であった、PC占いの手伝いを私はしていたのだと思います。そんな私に、定時制の生徒の一人が声をかけました。「ごめん、(全国有数のSランクの全日制生徒のあなたには)信じられんやろうけど、僕、本当に字が読めんとよ。ばってん占いの内容を知りたかと。やけん読んでくれん(博多弁です)」それも、明るく、ほがらかに、あっけらかんとこのことを告げるのです。読んであげると、とても喜んでくれた事を今でも思い出します。どんな事情で識字教育(義務教育)をうけることが出来なかったのかを聞く事はできませんでしたが、定時制に通いながら学ぼうとしている姿勢にも心打たれるものの、それ以上に、明るく「読んで欲しい」と言えることに尊敬さえ覚えたことを今でも思い出します。

「役に立つことを教えろ」と主張する人々

Sir Ken Robinsonも語っていますし、私も日常的に経験していることですが、「役に立つことを教えることを求める人」がとても多いです。まぁ、ほとんどの人がそうだと言えます。しかも彼らの役に立つは、私やRobinsonの考える役に立つとは違っているのです。

2023年4月にこんな事がありました。4月の講義1回目に参加した学生さんに私は問いました。「皆さんは、どのような理由でこの講義を受講しようと思ったのですか?」そして私はこう続けました。「これまでの大学生活を通して、先生がいろいろと説明していることを、ただ机に座って聴いているだけで、分かった気になり、期末テストに合格することだけを目的に講義を受けてきた人はどれだけいますか?」私から指名された学生が「自分は違う。」と言うので、私は彼にこう質問しました。「君は違うというけど、ノートも筆記用具も机に出していないね。じゃあ、君、私の説明は一度聞いただけで全て理解し記憶に留め、自力で運用する事ができるの?」彼は机の横に置いていた鞄をあさりだしましたが、あいにく、何かを書き留める紙すら一枚も持ち合わせていませんでした。そこで私は続けます「書き留める物を何も持参せずに講義をうける背景には、はやり、授業は適当に聞き流し、期末テストに合格すれば良いという考えがあるのでは」と。彼は不満そうな顔をしていましたが、案の定、授業後に、「先生の講義は、自分の将来にも就職にも何の役にも立たないので、履修取り消しをします」とメールが送られてきました。ちなみに、履修取り消しには担当教員へのメール送信は必要ありません。Web操作で簡単にできます。なお、大学院の選択科目での話です。

彼の将来や就職活動において、何が役に立つと、彼は考えているのでしょうかね?

私が彼に伝えたかったのは、期末試験に合格し、単位を良い成績で取得し、そして、卒業する事だけに重きをおいてはいけないということ。私は、学生のみなさんに、知識を自分のものにし、実際に運用することができるようになって欲しい。だから、この講義は、みなさんがこれまで受けてきた講義とは違い、期末試験にこれが出来ますよと説明したり、講義内容(授業中に用いたPPTなど)をPDFファイルで配布したりは決していない。常に君たちに考える事を促し、そのトレーニングをしながら講義を進める、とそうはっきり説明しました。それって、彼の将来にも就職活動にも何の役にも立たないのですかね?笑

大学教育はインフレ状態

Robinsonも言っているように、大学教育はインフレ状態です。これは、誰もが感じていることでしょう。だから、大学院に進学しなければ差別化が図れないと、多くの学生が思っている時代です。ここで疑問が生まれます、あなたは人との差別化のために大学や大学院に進学するのですか?

就職してリクルーターとして大学を訪問する卒業生達の多くは、仕事をする上で、これこれの資格や知識が必要なので、専門学校に通いながら頑張っています、と話します。仕事をしながらなので大変だとも言います。そうなんです、勉強とは、そして学校とは、本来、何かを学び身につけるためのもので、人との差別化を図るファッションではないのです。しかし、最近の大学教育は、皆が進学するから進学する、卒業すれば就職活動に有利になる、単に卒業できれば良い、ものになってしまいました。知識を身につけ、将来の役に立つように、運用できる事を目的にしている学生は少なくなってしまいました。

インフレ時代に生き残るためには

昔勤めていた国立大学で知り合った教員仲間からこんな話を聞きました。彼女は、私と同世代です。つまり、失われた20年(バブル崩壊後から低迷し底なし沼に経済が陥った時代から、リーマンショックが起こる数年前までを指し、人によって数え方が違います)の世代です。旧帝大を卒業すれば、一流企業の管理職に自動的に上り詰める時代は終わり、ほとんどの大手が新卒をとらなくなった時代ですね。彼女はこう言います。「そんな時代にあって生き残った私たちですよ。学歴ではなく実力があるのですよ」と。

そうなのです、必要なのは学歴ではないのです。その人自身が持っている実力なのです。

AIに仕事を奪われるとは

私は学生達によくこんな話をします。「期末試験に出る問題を暗記できるように教えろ」と苦情を言ってくる学生もいますけどね。皆さんにはおわかりですよね、それって教え(教育)ではないです。

最近、AIにうわばれる仕事が話題になっているよね。本当の意味知ってる?自分はそんな仕事には就かないし、関係無い、とか思ってません?と

ある日の授業中に、専門知識に関するある事を質問しました。学生の一人が、手を上げ、大きな声で、「○○です!」と元気よく答えてくれました。しかし、残念ながら私の教えたこととも、使っている教科書の解説とも違っていたため、「不正解」と伝えました。そして、私が講義中に教えたこととも違うし、教科書の解説とも違うね。どうして○○だと思ったの?と質問しました。すると、黙り込んでしまいました。後日、ゆっくり話を聞くと「手元のスマホで検索し、一番上にヒットした内容だった」とのこと。まぁ、私の事なのでそうであることは分かっていたのですが、この学生さんは、この事実をなかなか認めてくれず、本人の口からこの説明を得るには時間がかかったわけですが。

何故この話をするかというと、これこそが、AIに仕事を奪われるということだからです。

だって、学生達に質問した事は、授業で説明した事ですし、教科書にも解説があることですよ。しかも、学生達に取り組んでもらっている演習を通じて得た知識があれば、自分で考えることだってできた内容の質問だったのです。しかし、この学生さんは、スマホで検索をするという行動をとり、そこで1番上にヒットした情報を、真偽の判断もせず、鵜呑みにして、堂々と読み上げたのですよ。

自分の能力も知識も経験も、これら全てを使わず、AIに頼ったのです。

これが、AIに仕事を奪われるということです。

大学を卒業していようが、大学院で修士号や博士号をとろうが、その大学が有名であろうがなかろうが、自分の頭で考え判断することができず(せず)、AIに頼ることしかできなのですから。

AIが仕事を奪うという表現よりも、AIに使われる仕事と言った方が分かりやすいかもしれません。

例えば、タブレットを渡され、タブレットに表示される指示にしたがって作業をしてください。これがあたなの仕事です。といったようなシステムで成り立つ仕事です。

そんな仕事を楽な仕事だと言って喜ぶ人は多いと思います。

だって、授業は適当に受けておけば良いよ、期末試験はスマホ持ち込み可で検索し放題だよ、って言われたら大喜びするでしょ?そして、実際、授業は真面目にうけず、期末試験の際は、問題の答えを求めて検索しまくり、上位にヒットした内容を丸写しして、あー楽だったーって喜びません?

もしも、そりゃそうだ、と思った人は、上に書いた通り、そんな仕事を楽な仕事だと言って喜ぶ人ですよ。

なのに私が、「でもさ、それってAIに使われているんだよ」、とか、「既にAIに奪われた仕事だよ」、とか説明するもんで、人を馬鹿にするな!と憤慨する。

馬鹿になんかしていません。私が言いたいのは、大学で4年、大学院修士課程で2年という時間とお金を使い、身につけ実際に運用できるのが、AI検索と上位ヒット情報の丸写しって、どうなんですかね?という事です。

大学教育はインフレを起こしています。大学卒業とか大学院修士課程修了とか、どの大学とか、もうほとんど意味がなくなってきています。そこで、モチベーションを持ち続け、大学卒業後の約40年間をどうやって仕事に費やすのですか?

最近はよく学生達に、こんなことを語りかけています。